ヒップホップ・ミュージック…タトゥーやちょっと激しめの音楽、黒人などのイメージが思い浮かぶ人も多いのではないでしょうか。
今回はヒップホップ・ミュージックについて簡単にですが、ご紹介します。
ヒップホップ・ミュージック
ヒップホップ・ミュージックは、ラップなどのリズミカルなミュージックからなる音楽のジャンルの一つです。
リズム、セリフを同じ調子でリズミカルに繰り返します。
クール・ハークとグランドマスター・フラッシュ
ニューヨークのサウスブロンクスのマンションの住人であったクール・ハーク。彼はそこでファンクやソウルの音楽をかけてDJパーティーを開催し、DJによる遊び場を提供していました。これがヒップホップの発祥といわれています。また、DJの2つのターンテーブルを使用してループさせる手法は、このクール・ハークによって発明されたものです。後に彼はターンテーブルを外に持ち出すようになり、パーティーをストリート、公園でも展開するようになります。
さらに、その手法をヒップホップ文化へと広めていったアーティストは、1958年バルバトス生まれのNYサウス・ブロンクス出身のグランドマスター・フラッシュ。ヒップホップDJにおけるカッティング、ミキシングは彼によって発明されました。
MC、DJ、ブレイクダンス、グラフィティーはヒップホップの四大要素です。
歴代で見るヒップホップ文化
次は歴史ごとに動画と合わせて、ヒップホップ・ミュージックの流れを見ていきましょう。
70年代
ヒップホップという言葉を名付けたのは、ヒップホップグループ『ズールー・ネイション』の元リーダー、アフリカ・バンバータです。
80年代
ランDMC、パブリック・エナミー、LLクールJ、ビースティー・ボーイズなどのアーティスト達が、アメリカを超えて世界で活躍するようになります。
90年代
アメリカではヒップホップが最も売れる音楽ジャンルになり、勢いをさらに増していく展開へと変わっていきます。
西海岸ではアイスTやN.W.A.などに代表される「ギャングスタ・ラップ」が注目を集めます。それにより大きな社会問題を引き起こしたり、東海岸と西海岸出身アーティストによる妬みなどの感情も生まれてきたりしたのも90年代。当時のヒップホップを代表するNY出身のノトーリアス・B.I.G.とL.A出身の2パックを取り巻く間で抗争が激化していき、最終的に90年代半ばに二人は何者かに銃によって撃たれ、命をなくしてしまうに至ります。
ヒップホップが人気化したことで薬や盗みを働く人々が減ったのにも関わらず、最悪な時代が起きてしまいました。しかしながら、この大事件を機として再び、東、西のアーティストは平和に向けて手を取り合うようになります。
90年代後半以降
ウータン・クランやジェイ・Z、リル・ウェイン、エミネムなどのアーティストの活躍が目覚ましくなります。
2010年代
ケンドリック・ラマー、Future、Migos、Lil Uzi Vert、エイサップ・ロッキーなどが有名です。
以上、簡単にですが、ヒップホップ・ミュージックの流れをご紹介しました。
冒頭であげたタトゥーやちょっと激しめの音楽、黒人などのイメージは間違っていないようです。
音のイメージもついたのではないでしょうか。
少しでも参考になれば幸いです。